まちづくりのひろば

子どもたちの未来のために

東海道と立場「富田」

2月21日(日)午後から富田地区市民センターで、東海道のイベント『〜わたしたちが知っておくべき、先人が紡いできた歴史と遺産〜東海道と立場「富田」』が開催されました。

第1部は四日市市博物館学芸員の廣瀬毅さんによる出前講座「東海道四日市、そして富田立場(たてば)」。東海道の延絵図を使って四日市市の南端、采女の杖衝坂から北の朝明川境まで「東下り」でたどりました。

延絵図には当時の東海道の一里塚や榜示杭、高札などの「施設」や、並木や橋や建物など町の様子が詳細に記録されています。先ず坂道の記号、板葺きと瓦葺き屋根の色分けなど延絵図の約束事を踏まえ、街道沿いの空間を浮かび上がらせる解説はとても新鮮で興味をそそられました。

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 富田は立場(たてば)茶屋・休憩所として栄えました。当時は桑名藩であったことから、浮世絵図の「桑名の焼き蛤」は実は富田の名物とのこと。

街道沿いには鬱蒼とした松並木が生えており、松葉と松ぼっくりを燃料に浜で採れた焼き蛤を桶に台を載せ、その上でハマグリを並べて焼いていました。焼き蛤とともに出していたのはお酒(当時富田は酒処)で、富田は立場の中でも旅人が楽しみにしていた異色の休憩場所だったそうです。

当時、蛤と言えば雀を連想。古代中国の七十二候の一つ「雀蛤となる」の紹介など昔の人々の豊かな感性を感じることができました。

 

第2部は自由参加の意見交換会。約20人の方が3グループに分かれて「東海道のまち活性化」について意見を交わしました。

鉄道会社とのタイアップでの「まち歩き」、東海道沿いの「まちかど博物館」を巡るなどの提案がありました。また歴史を含めたまちに対し、あまりにも無関心な現役世代を巻き込むには、先ずは子どもから。「子どもにまちの未来の絵を描いてもらう」などの意見もありました。

 

東海道沿いには昔も今も貴重な資源があります。まちの将来を描き、まちづくりを実行するには自分たちのまちを知ることが先ず第一。

現役世代をどう巻き込んでいくかが直近の課題です。

 

(おわり)